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敦煌「一般のお家」 [西安・敦煌]
敦煌旅行の写真を整理していたら、敦煌の暮らしがアップできそうだったので書いてみました。
敦煌の60%の人は観光による収入で暮らしています。その他は商店や農業で生計を立てています。砂漠の中にあるにもかかわらず、その生活は中国の中でも豊かです。
中国では珍しい一戸建ての家もあります。
しゃれてるー
集合住宅は一戸10万元~(日本円で150万)
建設中
農家は野菜や葡萄を作っています。
葡萄はワインにしたり干し葡萄にして出荷します。良質の干し葡萄は敦煌の名物。下記は天日干しの場所です。かなり無農薬っぽいですね。年間の降水量が30ミリですからできる代物です。
乾燥した風で干し葡萄を作る
砂漠にもオアシスの傍には花が咲きます。
敦煌の人々の命の川
川はキレン山から流れる雪解け水です。何千年も前の雪解け水を生活や農業に使っています。この川がなければ、敦煌の人たちは暮らしていけないのです。
敦煌に教えてもらったもの。
それは、「資源は限りあるもの」と言うことでした。
西安「兵馬俑番外編」 [西安・敦煌]
西安・敦煌旅行で目に付いたものを写真に撮った物を紹介。
西安の兵馬俑坑のチケットの写真。日本の企業名があったので嬉しくなって撮る。日本企業のたくましさが伺える。
中国大陸の中の博物館は写真取り放題。日本ならありえないような貴重なものでも撮影OK。
中国の一級保存品。ガラス張りの中にある。
そして、レプリカ王国・中国ならではの「兵馬俑」量産所。中国のレストランの入り口やエレベーターの前に置いてあるようなレプリカを作っている。もちろん、観光客向けに販売もしている。兵馬俑坑近くに何件もある。
店の入り口に並べられているレプリカ
兵馬俑坑には西安空港から高速一本で行けるように道路が整備されている。観光客しか利用しないので当然有料なんだろう。
高速を走っているとゴーストタウンがあった。人が一人もいない町は不気味だ。建設中の建物もあったが、なぜゴーストタウンになったのかはわからない。下記の写真は、その町の中にあるビル。
まだ営業している店もあった
まるで住んでいるようだが誰もいない
建設途中で放置してある
まだ、店が残って営業している様子もあったので、最近の出来事なのだろうが、かなり大きな町一つがなくなるというのは、私は恐怖を感じた。
敦煌旅行「鳴沙山・月牙泉」 [西安・敦煌]
鳴沙山(めいさざん)・月牙泉(げっかせん)に行かなきゃ、敦煌は面白くない!小さな子供を始め、老若男女楽しめるのがここだ。
なぜなら、ラクダに乗ったり、砂のソリをしたり、砂漠なんだけどきれいな景色が楽しめる。ただし、体力が欲しいので覚悟して行って欲しい。(実際私は途中でギブアップしそうになった)ちなみに、お金を払えば楽して楽しめる方法もある。
まずはラクダに乗る(30元)。ラクダには乗りたくない人は10元でカートに乗って移動。乗り方にはコツがあって、重心を後ろに取ると安全に乗り降りできる。(ラクダを引く人は教えてくれない。ガイドさんが教えてくれた。)
あの山に登る
ラクダに乗って入り口から次の場所へ移動すると山のふもとに着く。
ふもとからもう少しお金を出すとラクダで山の天辺まで登れるが、途中でラクダが砂で滑って落ちることもあるそうなので、私は自力で登ることにした。
下の写真が一番眺めのよい山。天辺まで正味15分だそうだが、20分は見ておいたほうがいい。あまりゆっくり登っていると、階段が狭いので次の人が登れないこともある。それに、もう少しで日没になるので、日没の最高の景色をみるまでがんばった方がいい。
ちなみに、登るのに45元。帰りは砂のソリに乗れるので楽に下れる。ソリもまた楽しみの一つだ。
帰りは砂の上をソリで降りる
かなりきつかったが、夕日が沈むその光景は忘れられない。
ここが月牙泉
月牙泉は残念ながら文化大革命(宗教的なものは破壊された。)のときに、オアシスの栓を壊されてしまい、今は人工のものとなっている。ちなみに、前回紹介した莫高窟も宗教的なものだが、周恩来の命令で壊されなかったそうだ。
敦煌旅行「莫高窟」 [西安・敦煌]
敦煌と言えば、「砂漠」と「莫高窟(ばっこうくつ)」だろう。毎日晴れているので写真はすこぶるきれいに撮れる。
中には壁に描かれた美術的価値の高い天女やブッダの像が各洞窟にある。昔シルクロードを旅するもの、商売をするものが安全祈願や供養の意味で作られた場所だ。清の時代になると道教の信者によってだいぶ状態が変わってしまったのが残念だが、もともとは仏教の教えのみ流布された場所だった。
一般の入場は120元だったが、美術的価値が高い「特別窟」はそれぞれ有料なので、実際感動するような壁画は特別窟にあるようだ。
もし、余裕があるなら「西千仏窟」(にせせんぶつくつ)に行ってみると、天女など美しい壁画が見られる。こちらの方が人が少ないのでゆっくり見られるので感動が大きいかもしれない。1997年に公開され19窟のうち5窟を見学できる。
莫高窟の話に戻るが、近くには清の時代まで流れていたとされる川がある。今では涸れてしまっているが橋が架かっている。写真はその川だったところ。
敦煌「お土産は夜光杯」 [西安・敦煌]
夜光杯(やこうはい)はキ連山から採った黒玉から作られる。
緑のものが高級で黒いものほど安くなる。黒玉には磁力があって磁石につく。硬さはガラスより硬く昔は戦場に持っていった。偽物もあるので磁石を持っていけば判別できるときもある。
ちなみに、私は買わないつもりだったが「磁力がある器」にぐらりと来てしまい、「お買い上げ~」してしまった。もちろんしっかり値切った。
写真のように表面張力がすごいのも特徴の一つだ。溢れそうで溢れない。
特級・一級・二級品があり、見た目はほとんど同じ。緑が強いほうが高価だ。定価が高いので思い切って値切った方がいい。(現在不況なので、掛け合ってくれる)
敦煌「敦煌空港・新敦煌駅」 [西安・敦煌]
西安を経由して「敦煌」へ。地図で見るとだいぶ中国の西になる。
敦煌と言えばシルクロードの中継地点となった場所で、仏教が栄えた場所でもある。このくらいの知識で行ったので、何もかもが初めての体験だった。
敦煌空港
飛行機が空港に着くと、歩いて移動。いきなりの日差しに驚く。ここでは年間降水量30ミリ。地上から蒸発する水の量のほうが多い。日差しは強いが日陰に入ると暑くないのがここの良さだろう。
しかし、空港を出たとたん緑が溢れているのには驚いた。その中になにやら建築中の駅があった。ここは、今の「敦煌駅」では遠すぎて不便なので新しく路線を開拓しているそうだ。それにしても、敦煌市から敦煌駅まで100キロあるなんて、駅の意味は無いんじゃないかと思った。
新敦煌駅
敦煌の観光客のうち、外国人では日本人がダントツトップだ。だから、日本人ガイドやお店の人、看板いたるところで日本語を見かける。何しろ、昔ここで「敦煌」という映画を撮影したセットが今でも残っているくらいだ。
敦煌旅行記は続く・・・・
西安旅行3日目「魔法の絨毯」 [西安・敦煌]
シルクロードの出発地点西安。大航海時代を迎えるまで、大いに栄えた名残がシルクの絨毯だろう。
シルクの絨毯の作り方は、縦糸と横糸の段数・糸の細さ・織り方によって価値が変わる。西安の手織りのシルク絨毯は織り方にひと手間かけてあり、使えば使うほど糸が引っ張られて丈夫になる特性がある。しかも、目が細かいため空気を含まないので耐火性がある。光沢は方向によって全く異なり180度反すと色ががらりと変わることから「魔法の絨毯」と呼ばれた。(現地解説による)
女性が一度絨毯を織ると、目が悪くなり、手の皮が硬くなって年を取ると、目の粗いものしか織れなくなるので目の細かいものほど貴重になる。下記の女性は奇跡的にまだ目の細かいものが織れるので、国宝級だそうだ。今は若い人に技術を伝える先生でもある。
女性に話を聞いてみると、10歳のときから一日8時間絨毯を織り、結婚はできなかったと言う。
左の紙は設計図の青写真
ここは販売もしていて、隣には工場があった。ほとんどが機会織りなのだろうが、ここでは手織りを強調していた。果たしてどこまで本当かはわからない。
工場の中には人はいなかった
西安旅行3日目「陝西歴史博物館」 [西安・敦煌]
西安は昔、長安と言われていた。シルクロードの出発地点として大いに栄えた町だ。ここにある博物館は中国の中でも「(北京)故宮博物館」「上海博物館」「南京博物館」「陝西博物館」と四大博物館のうちに一つなので、是非足を運んで欲しい。
他の博物館との違いは、時代に沿っての展示だ。中国の4千年とも6千年とも言われる歴史を、古代から出土されたものを時代時代に合わせて展示している。ここを見れば中国の歴史に迫れる博物館だ。
パネルもわかりやすい
唐の時代の唐三彩(とうさんさい)も充実しており、時代を追って形や色が変わっていく様子がよく。わかるようになっていた。
当時流行っていた洋服。
上の写真の人形が着ている洋服にはざくろの花の模様がえががれている。当時ざくろは子孫繁栄の食べ物として愛されていた。その刺繍が施されている衣服は高貴な女性のものだそうだ。
唐の時代の女性は強く、おしゃれも自由にできた。人形の中には男装の女性の姿もありその当時が如何に自由であったか知ることができる。
一番右側に男装の女性像
そのほかの時代や金の冠など見ごたえがあります。
おまけの画像
これは何でしょう?答えは・・・・
枕でした。
西安旅行2日目「阿倍仲麻呂記念碑」 [西安・敦煌]
中国では唐の時代、日本から遣唐使として中国に渡った阿倍仲麻呂の記念碑がある。日本人には「教科書に出てくる人」どまりの印象しかないかもしれない。
記念碑のある場所は「興慶宮公園」の中だ。もともとここは、唐の玄宗皇帝が楊貴妃と夏に静養した場所である。図書館もあり、その図書館の官長をしていたことから石碑が建てられたという。
それにしても、「官長の経験があったぐらいで外国人である阿倍仲麻呂の石碑を建立するだろうか」と言う疑問が残される。しかし、外国人ながら中国人との交流を成功させていたことが伺える。その証拠に、李白が読んだ詩が石碑に刻まれている。それは、日本に帰ろうとして遭難して死んでしまった(実際はベトナムに漂流して生きていた)阿倍仲麻呂に対しての惜別の意だった。
西安旅行2日目「鐘楼」 [西安・敦煌]
西安に着いて、初めての自由時間があった。どんな街か楽しみに歩いてみた。
とりあえず目的地を「鐘楼」とした。
西安も城壁に囲まれている割に広い。しかし、ここ最近は車の数が急上昇していて駐車スペースが無いので、市民は頭を痛めているそうだ。
町を歩いているとファッションショーがこじんまりと行われていた。モデルは男女一人ずつ。どこかの衣料品店が自分のところで売っている一般向けの商品を見せているようだ。が、立ち止まってみている人はいなかった。
不機嫌そうなモデルさん
鐘楼に着いた。かなり街の真ん中(ど真ん中?)と思いながら、交差点を渡ろうとしたが地上には無かった。この辺は地下を通り移動するらしい。鐘楼の中を見ようとして地下道に入ったが、全くのお上りさんになってしまいあえなく挫折。引き返すのが精一杯だった。
西安旅行2日目「城壁」 [西安・敦煌]
西安の特徴は城壁13㌔に囲まれた街を中心に発達しているところだ。どの中国の都市よりも中国らしい。
城壁は市民の中にはすっかり溶け込んでいて、城壁を通り抜けるときのワクワク感は観光客ならではだと思う。今でも現存する城壁の中でも西の城壁は観光バスを止めてじっくり見せてくれる。
夜になると城壁のトンネルの下ではお土産や日用品を売る小さなお店が出現する。
さて、シルクロードの始まりは下記の西の城壁だった。ここから珍品を積んで商人たちは旅に出た。安全を祈願するために仏教が盛んになったという。
西の城壁
城壁の上は貸し自転車でサイクリングできるようになっている。欧米人はサイクリングが好きらしく多数見られた。日本人観光客にはその時間は与えられていなかったので、広くて長い城壁をダッシュしたり、豆粒になった自分を写真に収めたりしている姿が印象的だった。灰色の城壁でここまでハイになれる、そんな場所なので是非行ってもらいたいですね。
西安旅行2日目「大雁塔」 [西安・敦煌]
お天気に恵まれ西安の町は他の中国とは全然違う不思議な姿を現しました。中国通にとって西安は一度訪れたい街です。
「大雁塔」は西安のシンボルでもあり、古い歴史建造物としては目立っています。「小雁塔」もあるのであわせて見学してもいいかもしれません。
大雁塔は三蔵法師ゆかりの塔です。大雁塔の傍には三蔵法師像もあり当時の苦労を思い起こすことができるかもしれません。ちなみに、西安・敦煌の旅行に三蔵法師は何回も出てきます。
車窓から
ただ、残念なのはガイドさんを頼むと、日本人は日本人用の部屋に通されてあれこれ売りつけられるのでせっかくの話も幻滅してしまいます。歴史の歪曲とも取れる話もあったので、ガイドは頼まない方が賢明ですね。実はここはお寺の中でガイドさんはお寺の人です。歴史を踏まえようとしたら、自分で勉強していくのがベストだと思います。
それでも、ガイドさんの話で印象に残ったのは黄砂によって灰色だった大雁塔が黄色に染まったと言うことでした。
さて、この大雁塔は20元で登ることができます。64メートルありますが、足腰に自身がある方は上ってみてはいかがでしょうか。そこからの眺めもなかなかよかったです。(写真は敢えて掲載しないでおきます)
西安旅行2日目「碑林」 [西安・敦煌]
西安のホテルで夜を向かえました。中国旅行は「足が大事」ですね。回る箇所はそんなに無いのですが、施設が広いために歩く距離が長いです。
さて、西安二日目の旅行記です。
2日目は晴れに恵まれてきれいな青空が見れました。
早速向かったのは「碑林」です。
碑林は石碑の記念館みたいなところで、書道家の残した石碑や重要な石碑が並んでいます。ここはガイドなしでは全く意味がわからないので、是非詳しい方と一緒に言ってください。
日本人としての見所は「平成」の年号を決めたことで有名な石碑があります。天皇もおこしに成ったと言う写真も随所にあります。年号の「平成」に関係する石碑はわかりやすいように印がありますので、お見逃しなく。(写真は不鮮明なので掲載しません)
下記の二枚は、(上)竹の葉が文字になっている石碑。(下)拓本を取っているところを見せてくれる。
西安旅行1日目 [西安・敦煌]
西安旅行記*第一日目*
上海の浦東空港から西安空港まで約2時間
空港に着くと土砂降りの雨にがっかり。先が思いやられる。それでも、ツアーなので観光バスに乗って写真を撮る。(実は今まで個人旅行が主だったのでツアーは初めての経験)
西安の空港から出るところ
今年は大雨が相次いでいると言う西安。今回も大雨。ズボンはひざまでぬれてしまう。
まず向かったのは、兵馬俑見学。何かで見たことがあると思うが、これは圧巻だった。茶色の人形が並んでいるのを想像していたが、実際掘り起こされたときは色が付いていたと言う。残念ながら、保存状態が悪かったので色は剥げてしまった。
その証拠写真。
発掘の様子
兵馬俑を見た後、「華清池」へ移動。
華清池は玄宗皇帝と楊貴妃が夏の別荘として使っていた温泉地。たくさんのお風呂の跡が発見された。「梨園」の発祥とも言われる観劇部屋があり、いろんな意味で文化的な場所だったようだ。
夜はここで水上ショーがある
楊貴妃と玄宗皇帝の話は絵巻にもなっていて、西安市内の劇場で、夜にはその悲劇の物語のショーも観劇できる。ただし別途料金なので私は行かなかった。
華清池の後は移動して、名物「餃子のフルコース」を食べた。
割りおいしかった
西安市内に入る前に、ゴーストタウンがあった。今は誰も住んでいない様子。中国でもこんなことがあるのかと少々驚いた。何しろ歴史が長い国だから、何があっても不思議ではないのかもしれない。
(本日の編集後記:久しぶりに長いブログになってしまったので、次回からはもう少しコンパクトに書こうと思う。)